みんな前に出過ぎている
ある霊能者が現代を霊視したところ、「みんな前に出過ぎている感じがする」とのこと。顎突き出して前のめりに歩いてるとか、そういう意味じゃないんですよ。
前に出過ぎているのは「私という意識」です。
「私が、私が」というエゴ優先の意識の時、意識は体の前面にはみ出ているそうです。
ねどじゅんさんの本でも語られていたので、ぜひ読んでみて下さい。
前に出過ぎている時とは、意見を通したい時や、「自分を証明したい!」と必死になっている時、自分の想い通りにコントロールしたいと自我がしゃしゃり出ている状態です。
こうなっていると気づけたらいいですが、気づけない時は何もしてないのに嫌われたり、のけものにされたり、徹底的にやられます。
はい、経験あります!
30代の頃、仕事で実力を証明したいとムキになってた時はこんな感じでした~(^^;)今でもやってしまいます…。癖みたいなもんですね。
出過ぎた意識はどうしたらいいのか?
結論から申し上げますと、引っ込めた方がいいでしょう。
出過ぎた状態とは「私がやっている」というエゴ優先の在り方であり、分離・又は眠りの状態と言えるでしょう。
何度も同じ事で躓き、悩み苦しみ、上手くいかない時っていうのは、「私がやっている」モードだからそうなります。
別の言い方をすると、頑張っている状態でもあります。
「私がやっている」モードの逆を語る「禅と弓」について
この本は、ドイツの哲学者が日本で弓道を習った時の体験記で、彼は師範から弓道の極意を得たいと懇願しますが、師範が彼に教えたのは、暗闇で全ての的を射抜くという達人技を見せた後に「私がそれをしているという意識はない」ということだけでした。
このエピソードと、ネドじゅんさんの宅配業者で働いていた時に起きた奇跡エピソードは繋がるものがあります。(上記著書参照)
最初は左脳意識(エゴ)で頑張るしかありませんが、それが右脳意識(超意識・神意識)に伝われば、あらゆるタイミングで奇跡的なことが起こるのです。
それが、神業の領域。
ですから「私がやっている」という意識から抜けられないうちは、物凄く頑張ったところで、凡人の結果しか出せないとも言えます。
それでもみんな頑張るを辞められないのは何故?
日本の教育では頑張ることがいいことで、諦めることは悪いことだと習ってきました。
理由はそれだけではなく、勝利や成功に価値を置いていて達成感を得たい人は、どうしても前に出ちゃうんです。
だって分離は、快楽なんですよ。
小我のみで目達成できた日には、ドーパミンがどばっと出て大興奮の悦楽状態なんです。
ですが、SHOGENさんの本「今日、誰のために生きる?」で、諦める時間がくる幸せ の話を読むと、価値観変わると思います。
人間関係とか恋愛とか、個人の能力だけではどうしようもないことを頑張っても大した結果にならず、逆に諦めて自分を引っ込めるとどうにかなるものです。
やってみると分かるけど、大人になって諦めるって本当に難しいんだよね(^^;)
ここまでが、我で生きること、分離状態で生きることの答え合わせです。
【これからの時代の在り方】神と共にあるとは、どういうこと?
私は、神の意識・超意識とは、背骨を中心とした中枢神経系に宿られていると感じています。そこまで意識を引っ込めて合わせていくのが、神と共にある具体的な手法の一つかと思います。
「後ろの正面だあれ」の意味は、「そこで神(本当の自分)が見ていますよ」という意味だと感じています。
▼その時の気づきはこちら
封印されていた秘儀の公開
古神道・山陰神道継承者である表博耀先生によって、奥義が公開されました。
弥勒の世は開いています❗️今は縄文の争いのない生活習慣、祈りある生活を実践するのみ❗️あなた方一人一人が救世主です‼️ - YouTube
唱えるだけで願いが叶うと言われる言葉「アチマリカム」
意味は「どうぞよろしくご統治ください」
誰に言っているのかというと、本当の神様です。
その存在を認識できる人は少ないでしょうが、少なくとも「自分」ではないわけです。
本当の救済は、「もう自分ではどうしようもない、どうにもならない、お手上げです、すいませんでした」と神に謝罪することから始まるとのこと。
人が「自分でやる!」といって、任せた結果が今です。
ことごとく破壊し、殺し、搾取してきました。
ついには第三次世界大戦だってさ、
もういい加減、無理ですよね。
分離はお終い!自分がモードもお終い!苦しくて楽しかったけどお終い!
世界を統治していた、本当の神様はこちらです。
目覚めについてのまとめ
- 日本には世界の面倒を見る役目がある
- 日本人には「祈りの力」が与えられている
- 長老族として、自分の事だけでなく、みんなことを祈らないといけない
- その責任に背くと、責任を負わされる
- 分離の在り方・自我に任せても大成しない
- 我を引っ込めて神と共にあること、皆の為に祈りの力を使うこと
- 今までの勝手を謝り、本当の神の統治をお祈りする
- その言葉が「アチマリカム」と唱えること
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