感覚をつかむ、みがく Selpit(セルピット)

自分が感じたこと・色んなことを研究するブログ

【追記修正】安楽死のある未来 死期は自分で決める

※考えが変わってきたのでブルーで追記修正してます

安楽死サービスに申し込む

父と母が安楽死を希望していて、私の分も申し込んでいるという夢を見た。

注意!夢の話です

私も別に反抗する訳でもなく、二人がするなら自分もするという感覚だった。

施設のようなセミナーみたいとこに説明会にいって講習を受けるが、安楽死する前に主催者が決めた人とSEXすれば、条件達成となる謎の設定だった。

他の参加者から「考え直すなら今のうちだよ?知らない人とセックスしたくないでしょ?あなたが嫌いなタイプが当たるよ」と言われて、確かに死ぬために知らない人とわざわざしたくないし、気持ち悪いし、生への執着や迷いがでた。

説明会後、私は両親に「どうせ死ぬなら、死ぬ前に色々出来るんじゃない?お金も残しても仕方ないから、寄付するなり処理しないと」って言ってみたけど、両親にとっては安楽死は 決定事項であり、その後のことなんか真剣に考えてなかった。私は安楽死するのかどうか、凄く迷って目が覚めた。

結論、安楽死するには若すぎるし、可能性もまだあるから勿体ない!やらなくて良かった!って思った。

 

いつでも死ねるという選択肢

安楽死の夢を見て、いつでも死ねるというのは最強のお守りだと思った。

およそ100年で衰えて動けなくなって死ぬまで生きないといけないというルールだから、生きるのが辛くなって、保守的で挑戦できない後ろ向きな人生になるのだと思う。

安楽死という選択肢があった方が可能性を感じて逆に前向きに生きられのかもしれない。

【追記】以前はやんわり肯定派でしたが、仮死状態の肉体をどう扱われるか信用できなくなったので、重篤な病による本人の希望による尊厳死以外はやるべきでないと思うようになりました。

考えが変わった理由はこちら

hontonokoto.hatenablog.com

 

メメントモリ、死を想え

下記はベルギーのパラリンピック選手で、事故の後遺症により、大量のモルヒネを投与しないと痛みで寝ることすらできない人の記事です。

安楽死は、豊かに生きるため。日本旅行の夢を叶えた、パラ金メダリストが語る"その時" | ハフポスト PROJECT

安楽死がなければ、とっくに自殺していた」

その選択肢があるから、やりたいことをやってから死のうと思えたという。恐らく彼女はまだ安楽死してない。

オランダ、ベルギーは医師の診断さえ下れば安楽死が出来る、診断は期限つきで過ぎれば再審査が必要。

しかし、間際で素敵な恋に落ちたり、生きがいを見つけて審査を取り下げる人も多くいるという。

寿命が分からない方がよっぽど怖いし、成長しない

あくまで重病者の個人の尊厳を守る為に。

どんなに辛い状況でも耐えて生き抜かねばならないという、苦痛による魂の成長期は終わった。

年老いて、寝たきりになって、他人にオムツを替えてもらう人生を生きたいか?

世話をしてくれる人がいるならまだしも、お金もなく一人でぐちゃぐちゃになりながら、孤独死する人をどう思うか?素晴らしいと思うか?

誰もがNOと言うはずだ。

絶対に嫌なはずだ。

ある程度やり切って、身体が機能しなくなったなら、死にたいはずだ。

(ここに関しては何とも言えない)

人は終わりを見ることで前向きになれる

死の間際、自分は何を感じ、何を成し遂げていて、何を後悔しているだろう。

まだ、できるんじゃないか?

もっと成長できるんじゃないか?

必ずそう思う。

自分で死期を決めることは、前向きな意味がある。

そして、死期が迫る未来から今の自分をみる。

その時思うことが、今の自分に必要なこと。

 

私は死ぬまでに魂を大きく成長させたい。

全てのことから学べる人でありたい。

自分次第で人生は作り替えることが出来ると体感を持って、とことん楽しくて幸せな人生にしたい。

あと5年で死ぬとしたら、今すぐ出来ることは、今すぐ幸せであること。

何事からも学び、楽しむこと。

 

死を想うことは、魂の道筋を正すこと。

安楽死の夢はとっても怖かったけど、素晴らしい学びを得ました。

ありがとうございます。