感覚をつかむ、みがく Selpit(セルピット)

自分が感じたこと・色んなことを研究するブログ

波動を上げると目覚めていく意識

昨日、大事な人を手放さないといけない気がして、凄く辛い気持ちなりました。

それでも手放した方がいいなぁと思って、それに向けてイメージした時に感じたのは、「絶対に手放したくない」という凄い執着心でした。

今までなら、不安に押し殺されてすぐに行動してたけど、そうじゃなくて波動を上げて違う思考で行動したいと思って一晩寝かしました。

その時、並木さんのいう「目覚めていく意味」とか、「断捨離」についてとか考えながら瞑想しました。

断捨離するとき物に対しては、こんなにも強い執着心って感じたことなかったけど、最近捨てようと思って捨てれなかったジャケットを思い出して、断捨離って、執着を手放す練習だなぁと思いました。

とにかく、ワンランク上の答えが欲しかった。

三次元的意識で深く眠っているとは、どういう意味なのか、私はそんなに深く眠っているのか、たくさん考えました。

どんどん波動を上げると意図して深く意識の中に潜っていくと、とてつもない虚しさに気付きました。

全部、自分次第なんだ

誰かがいるから強くなれるとか、愛する存在で満たされるとか、誰かのせいで不幸とか、ムカつくとか、全部幻で、誰かのおかげで幸せとかも幻想だから、もう誰かのせいにして依存して甘えて生きれないなぁと諦めささられました。

依存して甘えて生きるのは、文字通り甘くて楽しいごっこ遊びですから、そこから抜け出すのが「目覚め」なら中々シビアに感じます。

恋愛のように甘くて楽しいのはやりたいけど、誰かに気分を害されるのだけは嫌だから目覚めていたいとかは、出来ないんだと思うと悲しくなりました。

あんなに現実に辟易してたのに、意外と目覚めたくなかったみたい。

全部、私が決めている

全ては太い一つの意識で、それは自分の意識なんだという感覚がありました。

全ての登場人物はその太い意識が考えた設定で、それが源であり、私自身だというつまらなさ。

それが分かると、悟ることが物凄くつまらなく感じました。

もしかしたら眠っていたままの方がエキサイティングで楽しかったかもしれません。

ずっと母の胸に抱かれて甘えていたい赤ちゃんの気持ち。自立への抵抗です笑

この世界が仮想現実だとか、夢だとか、そういう説がありますが、その表現が最適解だとは思わないけど、 現実=意識 なんだとは思います。

その上で能動的に生きるのか、受動的に生きるのかは自分で選べるんですよね。

因みに現代の社会構造や教育は受動的に生きるように洗脳していますよね。

私の性格上、受け身ではいられないし、そうなるように人生が設計していたようなので、未練はありますが諦めて起きることにします。