こんにちは!セルピットのナノムーンです(^^)
前回、買い物で「自分の為のモノ」と出会うと、条件など気にせず自然に買ってしまう、という話を書きました。本日はその続きです!
前回の記事はこちら
自分の為のモノに買う理由は必要ない
最近「自分の為のモノ」と出会い、本日届いたのですが、早速愛用しています。
ローズバッドのニットヘアバンドです!(今は売り切れ中みたい^^;)
見た瞬間に「これは似合うし使える」と分かったので即ポチ♪
1,000円クーポンもあったので、かなりお得に買えました♪
「自分の為のモノ」はやっぱりスムーズだな~と実感します。
自分の為のモノじゃない場合
今日、お気に入りのショップで可愛いマグカップを見つけたので「買おうかな~」と値段をみたら、思ったより高くてびっくり(^^;)
「まあ、このデザインならそんなもんか~」と思いつつも、「なんかな~」があったので諦めました。(2700円ぐらい)
少しでも「うーん、何かな~」があれば、それは「自分の為のモノとは違う」のだと思います。
ぶっちゃけローズバッドのヘアバンドだって、自分的には「高いな」と思いましたが、それよりも「買う理由」が先に浮かびました。
- 絶対に似合うし、便利に決まってる!これは買いだ!5000円ぐらいいいだろ!
買っちゃおう! - 結果:大満足!
しかし、マグカップは「買わない理由」が先に出てきました。
- マグカップ他にもあるし、高くない?かわいいけど、本当に必要?
- 結果:店では迷ったけど、特に未練はない
これまで、この感覚って自覚しながら使ってなかったな~と思いました。
おそらく「なんかな~」って、好き嫌い関係なく決まってると思うんです。
例えば「必要なもの」の買い物でも、何の違和感もなく買ったものは普通に使えるけど、「なんかな~」があると、やっぱ「なんかな~」な結果になるんですよね。
服でも食品でも文具でも一緒です。
なんか「最初から必要な物は用意されている、または決まっている」そんな感じがするんですよね。
別の言い方をすると、
- 私にとって「必要なもの・私の為のモノ」は悩む前にすでに決まっている。
- それを探す手間は掛かるけど、見つけた瞬間に「これだ!」と分かる
- それは、必ずどこかに存在していて「必ず手に入る」
逆にそれ以外のものは使いにくかったり、まずかったり、そもそも見つからなかったりする。
まとめますと、買い物で買うかどうか悩んでいる時間は本当に無駄ですw
自分の為のモノは必ず存在してて、見た瞬間に分かるんだと思います。
恐らく、みんな「自分の為のモノ」を買う分のお金は自然に集まってくると思います。
事業も然り。
それ以上を求めると、振り子に捕まって無駄な努力をしたり、過剰ポテンシャルを作ってしまうのでは…と思いました。
書けば書くほど当たり前のことなんだけど、出来てなかったな~と実感します(^^;)