夢から目覚めていく葛藤
最近、この世が本格的にVRというか夢の世界なのではという疑問が強くなっていて、いろんなサイトやら動画を見ていたのですが、「ACIM MIRACLES」さんというチャンネルを見つけました。
何故こんな疑問を持つかというと、統合したり断捨離していくと、「人間らしく在るのをやめないといけない」って気づくんですよね。
苦しみたくないから目覚めると決めたのに、「ああしたい」「こうなりたい」という人間ドラマの渇望との葛藤が強くあったからです。
たとえば、「業界のトップランナーになりたい!」という願望があったとして
そこには必ず人間ドラマがひっついてくる。
努力の末成功する、逆転の発想がおこる、新たな出会い、嫉妬、別れ、喧嘩の末に出来る絆…、これらを経験するから達成感を味わい、承認欲求が満たされる…的なね。
これが成功したら楽しそうでしょ?
でも、初めから成功していたらつまんないでしょ?
目覚めたら、こういうの楽しめなくなる。お洒落もメイクも楽しくなくなりそう。
これらも結局は承認欲求で、認められたい=認められていない、っていう鏡合わせの苦しみを楽しんでいるってことなんだよね。
結局、「人間らしく成功する=苦しみを感じていたい」っていう欲が手放せないんだなって思った。
「ACIM MIRACLES」さんの動画をさらっと見た所感だと、苦しみがあるから快楽があって、一喜一憂はただの苦しみなんだって。
何もなくても本当にずっと幸せなのが本当の意識(愛)で、それを拒否して、苦しみの人間ドラマをやっていたい人が眠っている人らしい。
でも、全ての存在の目標がこの世で幸せになる事じゃなく、目覚めて本当の意識(愛)に戻っていくことなんだって事にも納得した。
どれだけこの世のカラクリを説明しても劣等感や孤独、欠乏、奪い合いを辞められない人が多いんだって、その動画の人は少し悲しそうだった。
この世の遊びから離れられないとか「苦しみ」って凄い依存性だよね。
苦しみ=快楽 なんだな。
小麦がやめられないのも、砂糖がやポテチがやめられないのも、マックが無性に食べたくなるのも、あらゆる依存性物質が全て快楽と結びついているから。
現時点で大事なのは、自分が苦しみ依存症だってことに気づけるかどうかなんですよね。
その苦しい快楽を提供している企業人は誰を信仰している?
嘘か誠か、悪魔を崇拝してるグローバル企業って多いみたいじゃないですか。
サタン=ルシファーとしたら、この世界ってルシファーの夢の世界なんじゃないかって思ったんです
それならば、本当の意識(愛・神・精霊)を拒否して苦しみと快楽から逃れられない理由にも繋がるなと。
ルシファーは神を拒否した罪悪感、劣等感、孤独を持っている。
それを感じたくないから「傲慢」さでごまかしている。
私たちはルシファーの夢の中で踊る人形で、彼の正当化のおもちゃかもしれないな、なんて…。
だから、私たちの中にはエゴという悪魔がいるんですよ。
エゴは痛みをもたらし、快楽を与えて依存させ、私たちが目覚めないようにしむけている。
私の根源的苦しみに「理解されない」「尊重されない」「だから認められない」っていうのがあります。いつだって人間ドラマの根源はこの苦しみスタートでした。
誰でも「根源的苦しみ」のテーマを持っていると思う。
私たちがルシファーそのものなのか、ルシファーに捕らわれた光なのかは分からないけど、みんなルシファーの因子(苦しみ)を持っている。
これは、好き勝手に書いた自論ですがね。
目覚めは一人でやること
「目覚めていく」過程で、統合ワークや断捨離をしていくのですが、
俗世間から離れるという意味で出家に似てますね。
宗教みたいって嫌厭される理由にも納得です。
でも、宗教の目的は解脱なので、そういう意味では同じ道を歩んでいるのかもね。