意図したことは、しりとりのように繋がっていく。これをシンクロニシティというのか。
絶望の物語はお終いと、昨日決めたらそういう情報が自然に入ってくる。
思考は選べるみたいな本って星の数ほどあるけど、今日立ち読みした本は読みやすかったな。タイトル忘れてしまったのでまた、探しておきます。
まぁとにかく、思考は選べるし、信じたことが現実になる。
これはもう単なる事実。
今日は、身近にいる自己愛性人格障害が過剰に自分を演出して自滅していく場面に出くわすという貴重な体験をした。
人に見せつけるために自分を演じると、人が離れ、信用を無くし、メッキが剥がれていくのかと思うと切なくなる。
だが同情は一切しない。どんなに悲惨でも、それは本人の書いた脚本なんだから関与しない。
私は思った、他人に見せつける為の自分なんて不要だと、クリーチャーだと。
勉強も何もかも、本当に自分のためにやろう。自分が作りたいと思うものを作ろう、自分が知りたいことを調べよう。この世界には自分しかいないんだから。
恋愛には幸せしかない。
仕事には興味と満足と楽しさしかない。
そして当たり前に大成功する。
食べたい物がいつでもタイミングよく食べられる。
素敵な人としか出会わない。
そんな楽チンな設定に決めた。
そして、本当に心から自分の好みの世界観を大事に拾いたいと思った。
静かな夜には不確定な魔法の力を感じる。
私は子供のころ、誰も居ない一人きりの夜が好きだった。
田舎の夜は静かだけど騒がしい。
夏はカエルの大合唱、秋には鈴虫の鳴き声、冬は北風の吹き付ける音。
虫やカエルは、闇夜に紛れる野生の生物で、私は彼らの世界を体験したり覗くことはできない。でも声だけは聞こえる。確かに存在している。
その夜は、「私」と「私以外」の2つの存在がある世界。
自分以外はみんな一体となっていると感じ、
私だけが個であると感じる不思議な世界。
なぜ私だけが個なのか不思議だった。
やがて私は、学校で孤立し、1人は寂しいことだと教えられた。
みんなと遊ばないことは、放課後の議題になるぐらい悪いことだった。
私は悪目立ちしたくない一心で、昼休みは苦手なドッヂボールを頑張ってたけど、本当は図書室で好きな本を読んでいたかった。
大好きな本の世界に浸っていたかったな。
先生からは、他の子供より大人しくて心配されたけど、私は静かに過ごすのが好きなだけ。
うるさい奴は嫌いなんです。
バカとは話たくないんです。
クラスの女の子達は嘘つきで大嫌いです。
私はそういう子供だったなぁ。
大人になって「他人の目」を自分の世界に取り込んだ時からすっかり忘れてた。
「他人の目」とは、邪視ですね。
他人から見える私を意識してしまう。
つまり嫉妬であり、それは幻想の目。
これも今から排除してお終いですね。
本当は、やっぱり自分と自分以外の2つしかないし、それすらも自分の世界でしかないのだ。