コントラストがあるほど豊かだ
今、多くの問題を抱えていて、心がいっぱいで思考が停止して、自分の人生が嫌で、誰も信用できなくて人間関係も不安定で何もかもがカオスだったとする。
しかも、その原因は自分で起こしたことでは無く、他人の不手際だったり不誠実だったりもろもろ他人や社会のせいで、自分はそれに巻き込まれたあげくにその解決を担わされているとする。
なぜ自分が他人のケツを拭かなければならないんだ!クソが!
天に向かってツバを吐く。
孤軍奮闘の末に問題は解決していき、自分の評価そこそこに社会とか会社とか周りのエトセトラが平和になっていき、新しい世代はそれも無垢に享受していく。それがいかにして築かれた環境なのか知る由もないままに。
そこで、私は試されるだろう。
テメェら!誰のおかげで今の環境があると思ってるんだ!フザケンナ!
と、自分の評価を知らしめる為、新世代を抑えつけるために奮闘するか。
やっと平和になった。あの頃と比べたら、ずいぶん豊かになった。
と、人生のコントラストしみじみと味わうか。
損したとか、得したとか、個人レベルの小さい視点で見ればコントラスト多い人生は損かもしれない。
肉体が死んで、魂がこれまでの人生を広げて見れば、コントラストの多い人生は彩りに満ち溢れている。
そして、生まれてくる前の計画を思い出すだろう、「彩りの多い人生にしよう」と決めてきたことを。
それを大きな視点で見ている意識がある。
自分 < 家 < 日本 < 地球 < 太陽系 < 天の川銀河 < 美しい星雲 <もっともっと遠く
私は美しい宇宙の小さな一点の遥か遠く小さな一点。
私なんていない。
「私」は「与えられている」。
願いは叶えられないし、そもそも叶わないのかもしれない。
すでに全て「与えられている」。
それは、壮大な計画の一部。
与えられているものを受け入れる。
それは心の器の大きさよ、豊かさよ。
よくわかんないけど。