感覚をつかむ、みがく Selpit(セルピット)

自分が感じたこと・色んなことを研究するブログ

今日の17時ごろ、電波バーストきたよね?

AFP=時事】宇宙のかなたから飛来する謎の電波の正確な発生源を初めて突き止めたとの研究結果が4日、発表された。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170105-00000007-jij_afp-sctch

 

こんなニュースを見たからか、新年初出勤で緊張してたからなのか、今日の17時頃、急に頭が朦朧としてバァーーーと何かに照射されてる感じがしました。

暖かくて、脳みそが細胞レベルで微振動している感じ。黄色くて白い光が見えました。

 

ちょっと冷静になって、脳出血でもしてるのかと考えましたが、その時は忙しかったので無視して仕事してたら20秒ほどで収まりました。

その後、帰宅時にも脳みそが吸い上げられるような浮遊感がありました。

やっぱり脳出血でもしてるのか、今晩にでも召されるかもしれない、そんな気分になりました。

そんな時に思ったことは、この世への未練。

人間、死を間近にするとやっぱり悔しいのですね。やり残した事がいっぱいあるのです。

かつて手放したいと思ったこの命を心から愛しいと思いしました。

その時、光の中に召されていく自分を見送るイメージが見えました。

うまく説明出来ないけど、この命は自分の物ではなく、もっと特別なギフトのような存在で、この身体ひとつとて私の物なんて何ひとつないのだと思い出しました。

よく肉体は神様からの借り物だというけれど、身体はもとより、命すらも借り物だったんです。だから死ぬ時は全て返さなきゃいけない。

それを返す時がとても悲しくて寂しいと思いました。おそらく命を返却する際、自我は残されて、命をお見送りをしないといけないのだと思います。命と自我が切り離された時、自我は全てを思い出すのだと思います。

生きるということは、自分の意思など及びもしない何かに生かされていただけだということを。

生きているということが完全無欠の状態だったことを。

生と離れることがこんなにも寂しいと感じることを。

自分の中の生が、とてもとても特別で愛しい存在そのものだったことを。

私という自我は、生きていることが特別な瞬間の連続だったことが分からなかった事を後悔しました。自分の事がとてもとても特別で愛しいということを忘れていたんです。

ケチくさく節約して何になったんだろう、毎日食べたいものを食べれば良かったと思いました。

愛について、私はどれだけ愛せたのだろうと思いました。もっと惜しみなく愛せば良かったと思いました。この世界で愛するということは、とても特別な事だったのに、自分の気持ちを出し惜しみしたことを後悔しました。

もっともっと愛すれば良かった。愛するために生まれてきたのに、拗ねて心が疲弊するのを恐れて、大切な機会を損失していたバカな私。

死んでしまえば愛することが特別だと思えなくなるのに。だから限られた世界を選んだのに。やろうとしてたことを出来なくて悔やみました。生への許列な執着を見ました。自分の中にこんな感覚があったなんて驚きです。

 

あの時、実は自分はすでに死んでいるのかもと思いました。死んでいることに気付かない浮遊霊なのかもと心配しました。

でもまだ生きてる。

まだやり直しが効くのなら、私は愛しい命ととことん生きたい。

そして、愛することをやり遂げたい。愛しいと思うことにリミッターなんて付けなくて、とことん愛したいと思ったのです。

 

大分落ち着いてきたので、あの時の寂しい気持ちはなくなってきたけど、私は、自分を愛する本当の理由と、何をしたくて生まれてきたのかを思い出せたのだと思います。

 

死ぬ時は、全部全部、全てを天に返します。

だから、自分という肉体と命の完璧セットを与えられているうちは、この命と特別な時間を過ごさせて。

楽しかった、ありがとうと、最後に抱き合って感謝と愛を伝えたいから。

あなたが光の一部に溶けて見えなくなるまで、最後まで見送るから。

愛することが少し難しいこの世界で、出し惜しみなく愛させてください。