感覚をつかむ、みがく Selpit(セルピット)

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嫌でも目立ってしまう、嫉妬されたらどうする?

嫉妬とは、キリスト教における七つの大罪の1つ。宇宙意志から離れて無知となった人間を苦しめる感情的思考の1つですね。

嫉妬はされる側も苦しいけど、する方も苦しい。だから人に嫉妬させないのも思いやりだよってのがキリスト教の教えの1つにあるとかないとか、知らんけど。

良くも悪くも目立ってしまう

私は、子供の頃から良くも悪くも目立つタイプで、先生や目上のお兄さんに無条件で可愛がられる一方、仲良くしたい女の子達には嫉妬されるし、高校では先生に目をつけられて、1人だけ呼び出されたりなんてこともザラでした。

幼少期から他人(主に女)からの攻撃の対象になりやすかった私は、自信がなく臆病で、控えめな性格に育ちました。それもこれも目立ちたくないという一心でした。

それでも目立ってしまう辛身。

わざわざ自慢してくるような行動をしているなら控えることも出来るだろうけど、不可抗力的に目立ってしまう自分にとって、嫉妬させない生き方なんて無理な訳です。

ネットで調べみるとそういう人は割と居るみたいで、皆同じように悩んでました。

嫌でも目立ってしまう人は、諦めていっそ目立とう。

おそらく、私のように目立たないように気を配り、わざと自信をなくし、卑屈に生きたところで、嫉妬深い側からしたら火に油を注ぐようなもので、誰のためにもなりません。

目立つ人が、目立たないように努力すると全員不幸になります。。諦めて目立つしかないということを受け入れるしかないのだと思いました。

嫉妬はされます。

怨念飛ばされてイライラします。

でもそれは自分の感情ではないと気づくだけで、相手の苦しみが透けて見えるんです。

嫉妬に囚われている側は、漏れなく地獄の業火で焼け焦げになっています。

生きたまま内側を焼かれる地獄。 

その地獄を見たとき、自分を低く見積もって貶めているから、他人をこんなにも苦しめるのだと気付きました。

与えられた自分の質を尊重する

私は、頑張りたくない、認められたくない、地味に大人しく、慎ましく生きたいと思っていました。

でも、出来る事をやらない、それは傲慢を孕んだ怠惰ってやつです。(またも七つの大罪

だから、その生暖かい怠惰の着ぐるみを剥いで、突き抜けることに決めました。

自分がリーダーシップをとり、中心となることに腹を括りました。

嫌だし、怖いし、目立ちたくないけど、本来の質に従って生きます。

どうせ出来るのに謙遜して遠慮して自己卑下をしている人間は、いやらしく自分で思っている以上にウザいしな。

どーせ目立つなら、潔く突き抜ける。

嫌でも目立ってしまう人は、諦めて目立とう!

人より秀でている事を自分で認めよう!

自覚を持って、腹を括ってそんな自分に責任を持って生きていこう。

自分を構成する神への信頼と尊重です。

そこは貴方の本来いるべき場所ですか?

能力を制限され、行動力、判断力を奪われるようなら、そこは中身のサイズが合ってない。

猫ちゃんのゲージに虎が入らないのと同じで、猫達にとったら迷惑極まりないのだから、虎は諦めて出て行こう。

本当は虎のくせに猫のフリして、私は可愛い猫にゃん、弱いにゃん、可愛がってニャン♪ なんてやってたら、周りの者はさぞ気持ち悪いだろう。

己を低く見積もっていたから、他の虎達に会うのは怖いし、上手く狩りが出来るか自信もない。その間抜けな姿を見た他の虎達に笑われるかもしれない。

でも虎なんだから、やれば出来るし、出来るまでやるしかないんだ。そこが猫用ゲージだと気付いてしまったなら、体を歪めて入り続けることはもう出来ないのだから。

また、猫が自分より弱いと勘違いして飛びかかって怪我しないように、最初から虎の威厳を解き放つ、それが自然な在り方。

「私なんて」を今すぐやめて、「目立つ」生き方に責任を持つ、そう決めた途端に人生は変わりだす。