何となく執着について考えていた。
夏ごろに好きだった人と色々あって、気持ちが冷めてしまって私から離れた。
すると調子乗ってた彼は、連絡の頻度を下げながら(私が無視するから)私の様子を伺い、さりげなくデートに誘ってくるようになった。
私としては、彼への気持ちは冷めきっているし、あからさまに気持ちを探るような連絡が来るとウザいわけです。また彼を好きになる事も、デートすることも絶対無いと思えちゃうわけです。
この一連の流れを見ていると、彼は手に入りそうだったモノが手に入らなかったので、その補完をするのに必死なんだな、という印象を持ちました。
これを恋愛と呼ぶのでしょうか、執着と呼ぶのでしょうか。
何を手放すか
私は思いました。よく執着は手放してくださいというけど、補完したいのに手放せとか無慈悲だと。言葉が足りないというか、つっけんどんで言葉が浅すぎる。高校の歴史の教科書より浅い。
手放すのは、相手への気持ちや、欲しかった未来やストーリーではなく、自分には達成出来ない、足りないっていう思い込みなのでは?と思うのです。
達成したその先を見ることが出来れば、執着は勝手に剥がれ落ちていく。
執着ってへばりついて「足りない苦しい切ない」とそそのかしてくるエゴなんだよね。つまり自分ではない他所の声に騙されてる状態。エゴによる洗脳状態ですな。
いつまでも、「足りない苦しい切ない」と嘆いて、相手にその幻想の穴を埋めてもらおうするから、欠乏感の地獄をみる。
実は「足りない苦しい切ない」なんていうのは嘘。出会う前はどうしてたんだよ!?って話だし。本当に欲しかったのは、相手とのストーリーの先にある喜びとか幸福感だったはず。
だったら、エゴの声は嘘だと見抜いて、喜びとか幸福感を掴みに行けばいい話。
好きなもの食べに行くとか、買い物でも、猫カフェでも、漫画読むでも、寝るでも、代替物は無限にあるじゃないか。
執着の正体
執着している状態とは、本当に欲しかったモノを見失ってる状態なんだと思います。
本当に欲しかったのは、自分自身の状態なのに、現代人は目に見えないものを掴むことが出来ないから、他人や形や物に依存するクセがある。
その依存しているモノや形は全て幻だから、掴むことが出来なくて悶え苦しむ。辛身。
幻から目覚める方法
好きな人と付き合えて、
素敵な車を手に入れて、
高価な時計を手に入れて、
美しいマイホームを手に入れる事が出来たなら、自分はどう在るのかを想像する力が、願いを叶えるんだ。
たとえ、その通りにはならなくても、そう在る力が発動するんだ。
そんな簡単な事でいいのか、今までの苦労はどうなる!とムカついて腹が立つかもしれないけど、それしかない。このように邪魔してくる声の正体がエゴだと見抜くことも忘れずに。
これこそが執着を手放すってこと〜!!!