感覚をつかむ、みがく Selpit!

本・映画のレビュー・自分が感じたことを書く日記(※不定期で閉鎖してます)

夢の中の私

「意識的」に生きる、をやり始めてから明らかに変わったことがある。

それは夢見。

「夢の中の私」は、これを夢だと言っていた。

だからといって好き放題にやってたわけではない。
何故か私の家の風呂を必死で磨く幼馴染の両親や、私のことを恋人だと勘違いして、住居不法侵入してくるワイルド系のおっさんなどが現れて大慌てしていたし、無秩序な世界の中の登場人物にこれは現実じゃ無い、夢だなんだから帰ってちょうだい!と必死に説明していた。

「夢の中の私」は、これは夢だと知っていた。
それを見ていた「私」は「夢の中の私」に何も出来なかった。

なぜならば、「夢の中の私」は、夢の中の出来事に対処するのに必死で、
それ以上のことは望んでいなかったからだ。

それを見ていた「私」は、その様子をただモニタリングしていた。

目覚めてからずっと考えてた。
これって、「源」と呼ばれる存在(大きなる存在、宇宙、命そのもの)と、
「私」の関係そのものじゃないのかと。

源の存在って結構ずっと見てるんじゃないの?

引き寄せの法則やらなんやらでは、「宇宙」に対して願いを伝えるとよく言います。

宇宙が現に存在していて、とんでもなく不思議なもんで、大いなる力を持っているってのは分かるけど、その宇宙に願いを届けるってのが、私にはよく分からなかったんです。

「宇宙」ってさ、空間じゃないの?そこに「意識」はあるのですか?ちょっと無機質すぎやしませんか? と思っていたわけです。

でも、「夢の中の私」をみていた「私」の視点になってわかったんです。

私が意思表示すべき存在は、この「視点」そのものじゃないのかと。

宇宙なんて大気圏を飛び越えた物理的に遠い存在じゃなくて、もっと身近にあるんじゃないのかと。

それはずっと私を見てる。

心の目で、ただ見ている。

そこに善悪の判断は無く、手出し口出しはしない。

ひと時も離れずにただ見ている。

意識的に生きていくことで、私は「その目」に気づいていくのかもしれない。

「その目」は、私が真に気づくことを待ってる。