感覚をつかむ、みがく Selpit(セルピット)

自分が感じたこと・色んなことを研究するブログ

明日死んでもいいように遠慮しない

好きな人にぐらい、我慢せず素直になろうと思った。
(彼は仕事でへとへとで明日も朝早いけど)会いにきて。
(あつかましいけど)ジュース買ってきて。
(恥ずかしいけど)触って欲しい。

素直に全部言ってみたら、彼は喜んでしてくれた。

こんなこと言ったら失礼だなって遠慮してたことも、何も考えないで彼に言ってみたら、めっちゃウケてた。

ある人が言ったこの世の真理、
自分が世界に放つ言葉は、魂(自分)が自分に放つ言葉。
世界から言われる言葉は、自分が自分(魂)に放つ言葉。

彼に「俺はどうしたらいい?」って聞かれた時、
私は「好きにすれば」って答えた。

彼はよく私に「嫌われたくない」っていうけど、
彼のこと好きだから会ってるし、キスするし、触れ合うんだから、嫌われるなんて今の時点で無用の心配だし、たまに面倒くさくなる。
そんな心配するよりも、もっと遠慮なく求めて欲しいと願う。

彼=私、私=魂

私と彼は合わせ鏡で、お互いを通じて自分の魂とコミュニケーションを取ってるように思える。
彼が私にいう不安は、私が常日頃から思ってる不安そのものだし、私が彼に言うさっぱりした答えは、魂からの返答なんだろうな。

魂はいう、

  • 好きにすればいい。
  • 求めることを求めよ。
  • 何でも自分の思い通りになっていることに気づけ。
  • 今起こっていない不安を捏造するな。
  • 遠慮するな!この瞬間の贈り物を全力で受け取れ!

彼といると、お互いに素直になれる。
責任なんか持たなくていい、期待に応えなくてもいい、
欲しいものは欲しがっていいし、手に入れていい。

私はずっと、誰かに裁かれて生きていたように思う。
目に見えない誰か、死んだおじいちゃんとか、ご先祖様とか、守護霊とか、有名な霊能者とか、仏様とか。

私が何かを求める度に、見えない誰かに「そんなことをして、恥ずかしい子だね!」と罵られていた。彼らは倫理観を振りかざして、聖なる錫杖で私を殴りつける。
美しい仏様や女神たちは惨めで卑しい私をあざ笑う。私はずっとそんなイメージに囚われて、素直に生きることができなくなっていた。

でも、私は気づいてしまった。
私の神は、魂は、そんなケツの穴の小さい卑しい存在じゃないと。
私を罰する神は、神の姿を真似た偽物だった。
それに気づくと、私の本当の神がはっきりと姿を現した。

本当の神は、オールオッケーしか出さなくて、やりたく無いことや我慢を続けると「付き合いきれん」とそっぽ向いてしまうようなサバサバした面倒くさがりやで、Happy&Lightしか興味示さない、超ドライで軽やかな存在だった。

私の神はいつも私に囁く。

明日死ぬかもしれないから、やりたいけど、やっちゃダメなことをやっちゃいな!と。
もっと捨てろ!もっと欲しがれ!短い寿命にしがみ付くな!生きてることをもっと楽しめ!と野次を飛ばしてくる。

そして、私のやることなすことに大爆笑で、欲望と好奇心へのGOサインを出しまくってくる。

子供の頃からずっと鳥のように自由に生きたいと願ってた。
もう誰かに裁かれるのはたくさん。
素直に生きるのは怖い。今からでもできるかもしれない。